今日 並河の新築建設予定地の書類を取りに市役所に行きました。
すると その場所は遺跡なので、また別の届け出が必要だと…
なんでも、そこには並河城があった為工事するには申請が必要だそうな…
はぁ…色々またややこしいぞぉ
市役所や法務局や土木事務所や…
最近訳も分からずに、書類を届けたり取りに行ったり(^_^.)
何をするにも、許可がいるとか申請しないといけないとか、書類だらけ…
日本だけなんでしょうか?
一応並河城について調べてみると
亀岡から八木に向う府道402号線を犬飼川を越えてすぐ右手の法然寺を含んだ一帯が並河跡である。
天正年間、丹波に攻め入った織田軍の明智光秀に呼応して命脈をつないだ並河城主並河掃部介は明智光秀の丹波攻めによく貢献し、八上城攻めにも参加している。
当時並河城は大堰川(保津川)を水田に流し込み、本丸脇にまで水をひくことで内陸部にありながら水運の便によって常に海と繋がる可能性を有していたようだ。
参考文献:新人物往来社 『日本城郭体系11』
との事。
並河さんという人が亀岡にいながらも海まで出られるように本丸脇に水をひいた…と
賢い!!
でも逆に川から攻められたらどうなったんやろね(^_-)
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